• 程暁農★「ポリコレ」の歴史的正体  2020年8月10日

    by  • October 18, 2020 • 日文文章 • 0 Comments

    共産党独裁政権による米国への浸透のマイナスが「ポリティカル・コレクトネス」(「政治的正義」=以下「ポリコレ」)という概念だ。過去20年、「ポリコレ」は一種のプラスの意味合いを持つ言葉に変身し、ますます声高に主張されるようになってきた。

     米国憲法は、いかなる政党や団体にも「政治的に何が正しいか」を決める権限を与えてはいない。もし、米国社会で誰かがそんな権力を持つとなれば、民主制度の「進歩」などではなく、共産党政権下の思想改造と同様の、思想に対する専制制度となる。

     いったん、「ポリコレ」の思想的専制を社会が黙って受け入れたならば、若い世代は学校で単一のイデオロギーによって「洗脳」され、民主国家から思想の自由は失われ、民主制度は一部の人々による政治的専制に堕落するだろう。

     ★「ポリコレ」の前世と現在

     今の米国では大学のキャンパスから政界まで「ポリコレ」が厳然として法律のように「一切を指導する」という声になっている。しかし、多くの人々はこの「ポリコレ」という言葉の来源と元々の意味をご存知ない。実は「ポリコレ」とは、ソ連と中共の専制政権が、米国に浸透したことに端を発している。

     2008年10月20日、北京大学歴史学部でアメリカの歴史学者モーリス・アイサーマンとエレン・シュレッカーが「20世紀におけるアメリカ左翼の歴史的発展」と題して講義を行った。

     アイサーマンによれば、アメリカ共産党はロシア革命の影響を受けて1919年に設立され、その目標はソ連アメリカの建設であることを公然と宣言していた。そして、1960〜70年代になると、中国やキューバをモデルにした学生主体の「新左翼」が歴史の舞台に登場した。

     共産党独裁政権がアメリカに潜入したことで、「ポリコレ」という概念が誕生したのだった。ウィキペディアによると、1930年代に「ポリコレ」とは、穏健派社会主義者が、モスクワの命令に従うアメリカの共産主義信者に対して使った皮肉で、ソ連共産党の政策だけを擁護・擁護することを意味していたという。

     アメリカ共産党はソ連から資金を頂戴するために、絶対にモスクワが決めた「ポリコレ」路線を堅持しなければならなかった。1987年にソ連共産党がぐらつき始めた時でも、米国共産党は依然として、毎年300万米ドルの援助を受けていた。

     そして、中共が革命を輸出し始めた1960年から70年代には、毛沢東語録を愛好したアメリカの新左翼たちは、中共の反ソ反修正主義に乗っかって、アメリカ共産党員をバカにしていた。例えば、米国の毛沢東ファンは、紅衛兵の口調を真似て「同志、君は『政治的に正しくない』」と言ったりした。

     レーガン時代が終わって、1990年代になると、「ポリコレ」は、大学の教室や、キャンパスで復活したが、その時はもうソ連臭や毛沢東語録の余韻はなくなっていた。

     そのころ、私はプリンストン大学で学んでいたが、マルクス主義の古典理論の授業を担当していたアフリカ系アメリカ人の教授が、「共産党宣言」を必読にしており、私は、徹底的に否定したノートを書いたが、教授は何も言わなかった。

     そのころ「ポリコレ」という言葉はほとんど使われなかった。別の講座ではちょいちょい出てきたのかもしれないが、それでも、「ポリコレ」という言葉が使われた場合は、左派を軽く風刺する言葉だった。異なる価値観への不寛容を意味したのだった。

     しかし、この20年間、米国の大学における教師たちがますます左傾化するにしたがって、「ポリコレ」はプラスの意味合いを帯びる言葉に変わっていった。つまり、左派の「進歩主義」のスローガンや理念は、政治的には最初から「正しい」という意味になって、キャンパスやメディアでますます使われるようになった。

     元々持っていたマイナス的な意味合いは完全に消えてしまって、「ポリコレ」が代表する各種のアピールはますます声高になっていった。最近では、「ポリコレ」のもとに「打倒トランプ政権」も付け加えられ、「ポリコレ」の風圧を回避するために多くのトランプ支持者も世論調査や地域で自分の意見を言わなくなってしまった。

     ★「ポリコレ」が独裁的イデオロになったわけ

     現代の米国社会において「ポリコレ」は本来、ただのレッテルであり、「最高の品」みたいな宣伝文句に過ぎず、政策販売用の包装紙や広告だ。どんな商品の良し悪しも、肝心なのはその内容であって、包装や広告ではない。

     しかし、近年の「ポリコレ」は、まさに政治ツールと化して、中身を隠蔽するレッテルになり、「進歩主義」でさえあれば、どんな主張やスローガンにも異議や疑問をさし挟めない。そんなことをすれば「ポリコレに反する」から、攻撃を受けたり、「進歩主義」に反対する奴だと見なされる。

     共産主義の独裁制度を体験したことのない米国人には、何が共産党とそのイデオロギーを理解できない。しかし、中国人にとっては、1949年から今日に至るまで、ずっと共産主義独裁の下に暮らしてきたので、、西側の「ポリコレ」を振り回す人々よりよほど専制制度の本質がわかっている。だって自分たちがその被害者なのだから。

     共産主義政権の思想独裁の特徴とは、政治権力やその他の、例えば学校の成績評価とかを使って、発言権が一部の人間に限られて、他の人々が自分の物の見方を持つことが許されないことだ。

     「ポリコレ」を拒否すれば、発言権を握る連中に経済的、社会的な圧力を受ける。「ポリコレ」を拒否すれば、価値観の不服従とみなされ。生きていけない。最後には、多くの人々は二面的な人間隣、公開の場では嘘っぱちを話、私的な、信用できる相手にしか本心を明かさなくなる。

     2016年8月2日、ニューヨーク・タイムズ紙は「アメリカのキャンパスでは、『ポリコレ』は法律ではないが、その『コントロール権』はしばしば法律を超えている。言論の自由は米国憲法修正第一条の庇護の下にあるが、米国社会が多元化する背景の下で、個人が言論の自由の権利を行使すると米国の歴史の記念碑ともいえる平等に関する法律によってではなく、『ポリコレ』からの制約を受ける」というエール大学の学生、董一夫の記事を掲載した。

     アメリカの憲法は言論の自由、さらには思想の自由を守っているからこそ、アメリカ共産党も今日まで何とかやってこれたし、「毛沢東語録」がアメリカで販売できる。

     しかし、米国憲法はいかなる政党や団体にも何が「ポリコレ」かなどということを決める権限は与えていない。もし米国社会の一部の人間が、自分たちがそんな権力を持っているというのなら、それは民主制の進歩ではなく、独裁思想を植え付けているということだ。

     ★マルクス主義的権威主義の遺伝子「ポリコレ」

     長年にわたり、アメリカの教育が左傾化していることを感じる人が増えてきた。 教育界では、新任教師に「ポリコレ」ことが求められるだけでなく、「ポリコレ」に抵抗のある教師は排除され、論文の発表や教師の昇進には「ポリコレ」という「ガラスの天井」があり、大統領選挙で「ポリコレ」を支持しない教師でも、仲間からの批判を避けるために発言しないように注意しなければならない。

      この現象は、「ポリコレ」が思想から社会的独裁へとエスカレートされつつあることを示している。

     「ポリコレ」のマルクス主義の遺伝子は、まさにこの現象の中に見出すことができる。それは民主国家内の「ポリコレ」問題で、「意見の異なる人」に対する容赦ない攻撃の圧力だ。「ポリコレ」派は、特に共産主義国では、赤色独裁政権への不満が「進歩」の証であることを際立たせるために、「人権への配慮」を装うことが多い。

     しかし、彼らは本当にイデオロギー的な専制政治を嫌っているのだろうか? 

     マルクス主義を国教とする共産主義体制の中で、独裁専制主義社会ではないのがあるだろうか?

     赤色政権が独裁的である理由は、人権を否定するイデオロギー的・政治的抑圧が人間の本性に反し、民衆の反発を招くこと、独裁を貫く以外に生き残る道がないことをよく知っているからである。これは、米中冷戦の背景にあるイデオロギー的な理由の一つでもある。

     しかし、「ポリコレ」派が赤色政権の人権問題を批判するのは、結局、人権面の上っ面だけで、先生政権のマルクス主義独裁という遺伝子については触れようとしないのだ。

     だが、マルクス主義イデオロギーの本来持っている独裁遺伝子を批判することなしに、共産政権下の独裁の根源を明らかにすることはできない。「ポリコレ」派は、いつもマルクス主義に対しては、新旧各種のざまざまな理由をつけて寛容な態度を見せている。その理由は、実は彼らは、マルクス主義専制遺伝子を本当は賞賛しているのだ。そして、可能な範囲で自分たちもそれを実践している。

     そうした意味で言えば、「ポリコレ」は、政治的専制と社会のコントロールのツールに変容しているおり、「ポリコレ」派の両面性を遺憾無く暴露している。

     彼らは共産党国家の人権に注目するが、別の一面では、自国の「ポリコレ」に対して賛成しない人々に容赦しないという点では、共産政権のプロテスターに対する態度と全く同じなのだ。「

     ポリコレ」派は、一面で共産党国家の独裁には不満だと言うかのようだが、別の面では共産党のマルクス主義独裁遺伝子を、注意深く守ろうとしているのだ。

     そういうわけで、西側の左派は共産党の独裁を批判しながらも、マルクス主義のドグマが打ち立てた社会主義経済制度は、徹底的に批判しようとはしない。それにも増して、共産党独裁を体験したプロテスターとは違って、共産制度のイデオロギーとなった根源であるマルクス主義を深く掘り下げて批判しようとはしないのだ。

     ★「ポリコレ」派の真の敵とは?

     「ポリコレ」派は、米国の伝統的価値観を敵としており、精神的には発生を同じくする共産党政権も批判するが、民主主義という意味では、実際は「政治的に正しくない」のだ。

     米国社会の伝統的価値観とは政治制度上の、人民が主人で、人民が統治し、人民が享受するということにほかならない。同時に、経済社会制度の面でも政府の提供する福祉に頼ろうとしないという点にある。というのは、理性は、そうした価値観を持つ人々に、民主国家の財源は無限の埋蔵金から出るものではなく、苦労して仕事をしている納税者が納める税金から補填されるものだと告げるからだ。

     もし、個人の必要性に応じて過度に国庫から支出しようとすれば、国家を危うくし、また個人の努力への意欲を削ぐことになる。

     こうした価値観を堅持しようとする米国の民衆には「謙虚な自尊心」を見て取る事ができる。「謙虚」とはこの場合、努力して仕事をして自立するチャンスを求める、という意味だ。いわゆる自尊とは、政府の福祉に頼ることを潔しとせず、政府が納税者のだした限りある資源を有効に使うことを望む、という意味だ。

     しかし、「ポリコレ」派とは、アメリカの伝統的な価値観を持つ人々をイデオロギー的に「保守的」と呼び、こうした言い方がメディアやアンケートではすでに当たり前のように使われるようになった。

     実際、伝統的な価値観を持つアメリカ人はイデオロギー志向がそんなに強くはなく、「保守主義」は本当の意味でのイデオロギーではない。これに対して「ポリコレ」の背後には、逆に一種のイデオロギーが隠されている。つまり、「ポリコレ」は、最初からマルクス主義に密接に関係し、現代的変種なのである。

     アメリカの左翼的価値観の精神的資源は、ヨーロッパから輸入されたものであり、戦後ヨーロッパを支配したポストモダンな新マルクス主義的潮流である。

     例えば、フランスで生まれたポストモダニズムやドイツのフランクフルト学派はヨーロッパ全土に圧倒的な影響力を持ち、文化相対主義や価値相対主義はポストモダニズム理論の産物であった。文化相対主義の道徳的根拠は価値相対主義であるが、価値相対主義の本質は実は道徳的ニヒリズムである。

     今日のヨーロッパが直面している問題の多くは、ユートピア的思考が優勢な左傾的幼稚主義と、左傾的優越主義の結果として見ることができる。

     左傾的幼稚主義とはユートピアイズムの流行であり、左傾的優越主義とは左翼思想を時勢の流行とするものだ。多くの知識人とメディアは欧州文明批判に熱を上げており、他のイデオロギーを無批判に吸収し、理非曲直を論じようとしない。多くの欧州人はアメリカ嫌いなのも、米国の民間にはまだまだ伝統的価値観が根強く、欧州の左翼的価値観の枠には入らないからだ。

     1980年代以降、アメリカの大学の教室では、社会科学の授業では、ヨーロッパのネオ・マルクス主義者を背景とした様々な「ファッショナブル」な学派が大きく取り上げられる傾向にある。

     米国の文化的エリートの多くは、左翼的価値観を受け入れて広め、自らに「リベラル」の称号を与え、政治的見解では人権や不利な立場にある人々に注目し、社会経済システムでは大きな政府とより多くの福祉を支持している。これらの左翼文化エリートの多くはマルクス主義が大好きで、1960〜70年代には毛沢東ファンですらあった。

     彼らは、ソ連における大規模な政治的迫害で悪名高いスターリン主義モデルに批判的であったかもしれないが、毛沢東の大規模な政治的迫害と、共産主義の旗印の下での数千万人の人々が餓死したことには知らん顔だ。共産主義独裁政権におけるマルクス主義の政治的実践の末路について論じることには消極的であった。

     民主的で自由主義的なシステムにおいて、マルクス主義を好きになることが思想の自由に属するならば、マルクス主義の唯一の真理、最高の価値、思想的独裁の本質を批判することも思想の自由に属する。「ポリコレ」を主張するのが政治的自由なら、それを批判するのも同様に、政治的自由の一部であるべきだ。

     「自由派」が「ポリコレ」を利用して思想の自由や表現の自由を侵食すると、実はアメリカの民主主義が脅かされているということだ。「ポリコレ」というイデオロギー独裁が社会に黙々と受け入れられ、若い世代が学校で一つのイデオロギーに「洗脳」されれば、民主主義は思想の自由を失い、民主主義は一群の人々の政治的独裁に還元されかねない。

     多くのアメリカ人はこうした行き方は間違っていると感じてはいても、その背後にある方向性が一体何を意味しているかに関してははっきり言えないでいる。しかし、共産党国家からのプロテスターとして言わしてもらえば、それはまさに共産党政権による思想改造のやり口だ。

     マルクス主義の恐るべきは、少数のグループの物の見方を、全界の最終的心理であり人類の向かうべきところだとしてしまい、あらゆる他人を自己の完全なコントロール下に置こうとすることだ。

     この点から見るならば、「ポリコレ」というスローガン自体、思想の自由に反するものだし、民主制度の下で、このスローガンは正しくないことはもちろん、「進歩」主義の実質は思想の自由を取り消すことになり、「進歩的」ではなく、実際は自由民主主義制度を後退させるものであって、民主制から専制へ滑り落ちる道であり、一種の退歩主義だ。

     中共とこの西側国家の左派の潮流は「親戚」関係にあり、どちらもマルクス主義の継承者であるが、二つの理由から、双方が本当に協力し合うことはない。

     何故ならば、西側左派が奉じるのは新マルクス主義出会って、共産党政権とは一線を画しており、大衆の支持を集めるには、共産政権の人権状況は批判せざるを得ない。イデオロギーの源が同じだという問題から、左派性h等は右派政党より「専制制度の支配」という重荷を背負うことを恐れる。

     対中国政策において、西側の左翼政党は、人権への関心を強調するのだが、そうした立場は、中共が「大歓迎」というわけには行かないからだ。(終わり)

    中国 何清漣

    中国2018 中国2017 中国2016 中国2015

    これまでの何清漣さんの論評の、翻訳はこちら

    過去のものはウィンドウズやMacのサファリでは、句読点が中央配置になります。Macのchromeがおすすめです。なお、「拙速」でやってますので誤字、脱字ご勘弁。(電子本の方は校閲して直してあります。多分w) なお、お気付きの点がございましたらお知らせください。ツイッター → @Minya_J。

    中国 何清漣

    程晓农:还原「政治正确」的真实面目
    2020-08-10 10:46 PM

    共产党专制政权对美国的渗透产生了具负面含义的「政治正确」概念。过去20年来「政治正确」变成了一种正面表述,它代表的各种诉求日益张扬。美国宪法从来没有赋予任何政党或任何社会团体有确定什么观点属于「政治正确」的权力。如果美国社会中的某一部分人自我赋予这样的权力,那不是民主制度的「进步」,而是思想专制的植入,与共产党政权思想改造的套路非常相似。一旦「政治正确」的思想专制被社会默默地接受了,年青一代不得不在学校里被单一意识形态「洗脑」,一个民主国家便失去了思想自由,这个民主制度就可能沦落为一批人的政治专制。

    一、「政治正确」的前世今生

    如今的美国,从校园到政坛,「政治正确」俨然以法律的面目发出了「领导一切」的声音。很多人并不了解「政治正确」这个口号的来源,也不知道它的原初含义是什么。其实,「政治正确」来源于苏共和中共专制政权对美国的渗透。

    2008年10月20日美国歷史学者莫里斯·伊瑟尔曼(maurice isserman)和艾伦·施雷克(ellen schrecker)在北京大学歷史系作了关于「20世纪美国左翼歷史发展」的演讲。据伊瑟尔曼介绍,1919年在俄国革命的影响下,美国共产党成立,并公开宣称其目标是建立一个苏维埃美国;美共在上世纪30-40年代获得了极大的发展,与国际共产主义运动关系密切,并接受苏联共产党的领导,二战后美共逐渐瓦解。到了上世纪60-70年代,一个以学生为主体的「新左派」登上了歷史舞台,他们将中国及古巴作为追求的典范。

    共产党专制政权对美国的渗透产生了「政治正确」这个概念。据维基百科介绍,在30年代,「政治正确」是温和的社会主义者对那些服从莫斯科指令的美共信众的挖苦之语,意思是,他们只会一味地鼓吹和捍卫苏共的方针政策。美共必须坚持莫斯科规定的「政治正确」路线和口号,因为它是拿卢布的苏共傀儡,直到1987年苏共已经开始政治松动了,美共仍然依靠苏共每年300万美元的补助。而在中共输出革命的60到70年代,美国那些喜欢毛泽东的「小红书」(《毛主席语录》)的新左派经常按照中共反苏反修的调子讽刺美共成员。比如,美国毛粉们会模仿「红卫兵」的口吻对美共成员说,「同志,你并不那么政治正确噢」。

    里根时代结束后,从90年代开始,「政治正确」在大学讲坛上和校园里復活了,但少了卢布的气息或毛语录的余音。回忆那个时期我在普林斯顿大学念书的课堂里,教经典理论课程的非裔美国人教授把《共产党宣言》列为必读教材,我写了篇读书笔记,把《共产党宣言》彻底否定了,这位教授并没有任何异议。那时「政治正确」这词极少出现,或许在个别讲座里会冒个泡,但那时用「政治正确」这个词,仍然多少包含一点讽刺左派的意味。有学者认为,「政治正确」是一种「文化马克思主义」,它的标志是对不同价值观的不宽容。

    但是,随着美国大学讲台上的教师们越来越左倾,过去20年来,「政治正确」变成了一种正面表述,意思是,左派「进步主义」口号和理念是政治上天然「正确」的。它在校园、媒体和社会上越来越流行,其原初的负面含义完全消失了,而它代表的各种诉求则日益张扬。最近以来,「政治正确」之下的诸多口号中又加进了「打倒川普」,以致于许多川普的支持者为了避免「政治正确」的压力,再也不在民调或社区环境里表达自己的看法。

    二、「政治正确」变成思想专制

    在当代美国社会,「政治正确」本来只是一种标籤,就像「最好的品味」这种广告词一样,是对它所推销的主张、政策的包装或广告。任何商品的好坏,关键在于其内容,而不是单纯由包装或广告所决定的。然而,近年来「政治正确」似乎正在变成一种政治工具,一些人试图用标籤来掩盖内容,似乎只要是任何在「进步主义」旗帜下提出的口号或政策主张,就不许质疑,不许有不同意见,不许别人保留看法,否则就用「政治不正确」的「棍子」去打击不贊成「进步主义」口号的人。

    没有经歷过红色专制的美国人体会不到,什么叫共产党及其意识形态的社会专制。而对中国人来说,自从1949年开始直到今天,他们始终生活在红色专制之下,那些敢于独立思考的中国人远比西方那些挥舞着「政治正确」标籤的人更懂得思想专制的实质,因为他们就是思想专制的受害者。红色政权的思想专制特徵是,通过政治权力或其它社会权力(比如学校里的成绩给定权)而掌握话语权的一部分人,把自己的观点规定为「政治正确」,不允许任何人提出质疑,也不许别人保留自己的看法;对敢于拒绝「政治正确」的社会成员,那些掌握话语权的人通过经济压力或社会压力,强迫拒绝「政治正确」的社会成员们服从,即让价值观上不服从者难以生存,最后许多人只能被迫做两面人,在公开场合说假话,只有私下场合对信任的人才能说真话。

    2016年8月2日《纽约时报》刊登过耶鲁大学学生董一夫的一篇文章,他在文章中写道,「在美国校园中,政治正确不是法律,但其『管辖』的范围却往往超过、超出法律。言论自由固然受到美国宪法第一修正案的保护,但是,在美国社会越发多元化的背景下,一个人在行使言论自由权时,其所受到的限制,常常不是来自美国歷史上诸多里程碑式的平权法律法案,而是来自政治正确原则」。

    美国宪法保护言论自由,更保护思想自由,这是美共得以混到今天的原因,也是毛泽东的「小红书」得以在美国传阅的原因。但是,美国宪法从来没有赋予任何政党或任何社会团体有确定什么观点属于「政治正确」的权力。如果美国社会中的某一部分人自我赋予这样的权力,那不是民主制度的「进步」,而是思想专制的植入。

    三、「政治正确」的马克思主义专制基因

    这些年来,越来越多的人感受到了美国教育界的左倾化。在教育圈里,不但新进教师必须保持「政治正确」,对「政治正确」持保留态度的教师会受到排挤,发表论文、教师晋级有「政治正确」的「玻璃天花板」,连总统选举时不支持「政治正确」的教师们都必须小心地缄口不言,以免遭到同侪的批评。这种现象代表着「政治正确」正在从思想专制升级为社会专制。

    恰恰是从这一现象中,可以发现「政治正确」的马克思主义基因,那就是对民主国家内部在「政治正确」问题上持「不同政见者」的无情打压。「政治正确」派经常以关心人权、特别是共产党国家的人权为自己的妆扮,以突显自己对红色专制的不满是「进步」的表现。但是,他们真厌恶思想专制吗?所有以马克思主义为国教的共产党政权,哪一个不是专制社会?红色政权之所以专制,就在于它清楚地知道,自己那剥夺人权的意识形态和政治压迫违反人的本性,必然遭到民众的反弹,除了坚持实行专制之外,没有其它生存之道。这也是中美冷战背后的一个意识形态原因。

    但是,「政治正确」派批评红色政权的人权问题,却总是停留在人权表象的层面,对专制政权的马克思主义专制基因却从不愿意触碰。而如果不批判马克思主义意识形态内含的专制基因,就无法挖掘红色政权下的专制根源。「政治正确」派总是给马克思主义的各种新旧版本留下种种宽容,其原因在于,他们其实十分赞赏马克思主义的专制基因;而且,在可能的范围内也会身体力行。

    从这个意义上讲,「政治正确」正在蜕变成思想专制和社会控制的政治工具,而「政治正确」派的两面人特徵也暴露无遗。一方面,他们表现出对共产党国家人权的关注;另一方面,他们对本国那些对「政治正确」持保留态度的人毫不宽容的立场,恰恰和红色政权对待异议人士一样。一方面,「政治正确」派似乎对共产党国家的专制十分不满;另一方面,他们对共产党政权的马克思主义专制基因又小心呵护。

    正因为如此,西方的左派虽然批判共产党专制,却从来不肯彻底否定共产党按照马克思主义教条建立起来的社会主义经济制度;他们更不愿意像共产党国家经歷过红色专制的异议人士那样,深刻挖掘共产党制度的意识形态根源,即马克思主义。在这方面,「政治正确」发挥了遮羞布的作用,让那些不否定红色政权共产党意识形态的做法得到「正名」,理由是,他们批判了红色专制下的人权状况,因此就「政治正确」了。可以说,西方左派既要继续拥抱马克思主义的各种新旧版本,又怕被说成是共产党专制的追随者,于是用这个所谓的「政治正确」替自己辩白。他们对红色专制的批判从来是虚情假意、半真半假的,只抽象地谈专制不好、要保护人权,却拒绝彻底否定红色政权的意识形态马克思主义及其专制基因。

    四、「政治正确」派与谁为敌?

    「政治正确」派与美国的传统价值观为敌,也批判精神同源的共产党政权,但它在民主政治的框架内其实属于政治不正确。

    美国社会的传统价值观无非就是政治制度上坚持民有、民治、民享的理念,同时在经济社会制度方面不依恋政府提供的福利。因为理智告诉持传统价值观的人们,民主国家的财政并非来源无穷的「藏金窟」,而是幸苦工作的纳税人们用税款填充起来的;若为了个人需要过度掏挖国库,既会毁掉这个国家,也会毁掉个人的努力意愿。在坚持这种价值观的美国民众身上,可以看到一种「谦卑的自尊」。所谓谦卑,是指他们只要求有机会努力工作养活自己;所谓自尊,是指他们不愿意依赖政府福利,但希望政府慎用纳税人提供的有限资源。

    「政治正确」派却把持有美国传统价值观的民众称为意识形态上的「保守主义」,这种说法在媒体和民调中已经成了自然而然的约定俗成。其实,持有传统价值观的美国民众并没有强烈的意识形态倾向,「保守主义」也不是一种真正意义上的意识形态;相反,「政治正确」的背后却隐藏着一种意识形态,即与「政治正确」的原初面目密切相关的马克思主义及其现代变种。

    美国左派价值观的精神资源进口自欧洲,即战后在欧洲居主导地位的后现代、新马克思主义思潮。比如,诞生在法国的后现代主义和德国的法兰克福学派对整个欧洲具有支配性的影响,文化相对主义和价值相对主义就是后现代理论的产物。文化相对主义的道德基础是价值相对主义,而价值相对主义的实质其实是道德虚无主义。欧洲今天面临的诸多问题,都可以被看作左倾幼稚病和左倾优越感的后果,左倾幼稚病是指乌托邦思维占上风,左倾优越感是指以左倾思维为时髦。许多知识分子和媒体热衷于批判欧洲的文明,同时对其它意识形态不加批判地接收,不讲是非,不分好坏。许多欧洲人不喜欢美国,就是因为在美国民间仍然十分活跃的传统价值观与欧洲的左派价值观格格不入。

    从80年代以来,美国的大学课堂中的社会科学课程往往大量介绍来自欧洲的种种新马克思主义背景的「时髦」流派。美国的文化精英大多数接受并传播左派价值观,给自己戴上了「自由派」的桂冠,在政治观念上关注人权、弱势群体,在社会经济制度上支持大政府、多福利。这些左派文化精英中,喜欢马克思主义的大有人在,甚至不少人上世纪60-70年代是毛粉。他们可能对斯大林模式持批判态度,毕竟这种模式因苏联的大规模政治迫害而臭名昭着;但是,他们对毛泽东的大规模政治迫害以及数千万人饿死在「公社」的共产主义旗帜下却装聋作哑,他们更不愿意讨论马克思主义在红色专制国家政治实践的末路问题。

    在民主自由的制度里,如果喜欢马克思主义属于思想自由,那么,批判马克思主义的唯一真理、最高价值观和思想专制的本质,同样属于思想自由;如果坚持「政治正确」是政治自由,那么,批评「政治正确」也同样应该属于政治自由的另一部分。当「自由派」用「政治正确」一面倒地侵蚀思想自由和言论自由时,美国的民主制度实际上就遇到了威胁。一旦「政治正确」的思想专制被社会默默地接受了,年青一代不得不在学校里被单一意识形态「洗脑」,一个民主国家便失去了思想自由,这个民主制度就可能沦落为一批人的政治专制。

    对这套路数,许多美国人只是本能地觉得不对,却说不清背后的走向意味着什么。但对来自共产党国家的异议人士而言,那不就是共产党政权思想改造的套路吗?马克思主义的要害就是把一小群人的看法作为全球的终极真理和人类大趋势,试图把所有其他人纳入自己的完全控制之中。从这个角度来看,「政治正确」这个口号本身是反思想自由的,在民主制度下,这个口号没有正确性可言;而「进步」主义的实质是取消思想自由,所以它不是「进步」的,实际上是自由民主制度的倒退,是从民主向专制滑坡的危险路径,所以是一种退步主义。

    中共与这股西方国家的左派潮流有「亲戚」关系,都是马克思主义的传人,但出于两个原因,双方没办法真正合作。因为,西方左派现在奉行的是新马克思主义,为了与共产党政权划清界限,以争取民众,不得不批判红色政权的人权状况。出于意识形态的同源问题,左派政党比右翼政党更害怕背「为专制政权帮腔」这个「锅」,在对华政策上西方的左派政党往往会刻意强调它对人权的关注,而这样的立场使得它没法与中共「勾肩搭背」。

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